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情報難民、情報弱者2
2011-04-03 Sun 20:40
前回はデマを取り上げて終わった。
今回は実際に起きたデマ事件を扱ってみたいと思う。

豊川信用金庫事件

この事件は1973年12月、愛知県宝飯郡小坂井町(現・豊川市)を中心に「豊川信用金庫が倒産する」という噂(デマ)から取り付け騒ぎが発生し、短期間に約26億円もの預貯金が引き出された事件である。そもそもは高校生の些細な会話からこれほどの事件となり、その後の警察による調査によってデマが集団パニックを引き起こす過程を詳細に解明した珍しいケースで、時に社会心理学の教育現場で引用されている。

発端
12月8日(土)

豊川信用金庫に就職が内定した女子高生Aは友人B、Cと下校の為、飯田線の電車に乗り込む。
この時、BとCは「信用金庫は(強盗に狙われるので)危ないよ」とAをからかった。
Aはこの冗談が心配になり、夜になって叔母D(当時Aさんの下宿先)に「信金は危ないのか?」と訊ねる。
Dは豊川信金本店近くに住む親戚E(兄の妻)に「豊川信金が危ないという噂があるが本当か?」と電話で尋ねる。
Eは「それは噂話に過ぎない」とDに答える。

12月9日(日)

噂話で片付けたEはこの日の夜行った美容院で店主Fにこの噂話を話す。

12月10日(月)

美容院店主Fは親戚Gに豊川信金の噂話を話す。この時偶然、小坂井町クリーニング店の店主Hが来ていてこの話を聞く。帰宅したHは妻Iに話すが、この時点では「噂」という認識であったらしく、その後の3日間は何も起きていない。

広まり
12月13日(木)11:30頃

Hの店に一人の男性が電話を借りに来た。男性は電話で家族に「豊川信金から120万円引き出せ」と指示。この男性は噂を全く知らず必要だったので引き出すよう指示したのだが、これを聞いていたHの妻Iは先日の噂を反射的に思い出し、大急ぎで夫Hを呼び戻すと預金していた180万円をおろした。
H夫妻は友人、知人、得意先に電話でこのことを伝え、近所にも行って「豊川信金が危ない」と伝える。
この話を聞いた中にアマチュア無線の愛好家がいた。彼は無線を使ってこの話を伝えた。
この日、豊川信金から預金をおろした人数は59人、金額は5000万円である。

この日のタクシー運転手の証言
昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」、14:30の客は「危ない」、16:30頃の客は「潰れる」、夜の客は「明日はもうあそこのシャッターは上がるまい」と時間が経つにつれて噂は誇張されていく。

二次デマ
12月14日(金)

事態を重く見た豊川信金は収拾のため声明を発表。
しかし、これを曲解して「銀行の中に使い込みをした者がいるらしい」から「職員の中に五億円を持ち逃げした者がいて経営がおかしくなった」に。
「理事長が死んだ」から「理事長が自殺した」へ変化し「理事長が不況を苦にして自殺した」から「理事長が不況を苦にして首をくくって自殺した」などとエスカレートする。恐慌状態になった民衆には声明を出せば出すほど逆効果になった。
同時に、豊川信金のある小坂井町、豊川市に隣接する豊橋市にも噂が飛び火。
「豊橋市の第一勧銀に客が詰め掛けている」という噂が流れ、似た名前だった豊橋信用金庫は対策として店頭現金を増額。
窮地を脱するため、豊川信金は各メディアに対してデマ報道を夕方から報道依頼。同時に警察も捜査を始める。

沈静化
12月15日(土)

大蔵省東海財務局長と日本銀行名古屋支店長が連名で同信金の経営保障をすると発表。豊川信金窓口では自殺したはずの理事長が対応に立つことで徐々に効果を奏し鎮静化に向かう。

終焉
12月16日(日)

警察がデマの伝播ルートを解明、発表し捜査が打ち切られた。

事の発端は女子高生の他愛ない雑談だった。普通ならこのことから集団パニックに発展するとは考え難いかもしれない。これだけの事件になるには素地になる条件が当時揃っていた。

1 1973年は第1次オイルショックの年で不況という社会不安があった。10月にはトイレットペーパー騒動が発生している。
2 1966年に豊橋市にあった金融機関、中日本産業が倒産。小坂井町は出資者が多く、甚大な被害を被っていた。
3 狭い地域で異なる人物から同じ内容の話を聞くと「信憑性がある」と信じてしまう。これを「交差ネットワークによる二度聞き効果」という。

クリーニング店のH夫妻は中日本産業の被害者だった。豊川信金は不況による影響はほとんど受けていないにも関わらず、過去の苦い経験から冷静に判断することができなかった。もちろんH夫妻が噂を広めたのに悪意があったわけでなく「あの時の苦い経験を他の人にも味合わせていけない」という善意からの行動だった。
だが1971年にペイオフ制度が導入された。この事実をH夫妻は知らなかったか失念していた。そうでなかったら慌てなかったと考えられる。特に目立つのはこの時、無線によって情報がばら撒かれたこと。当時としては強力なネットワークだっただろう。
そしてもう1件。
この事件から30年後の2003年に同じような事件がこの九州で起きた。
2003年12月25日午前2:00頃、佐賀に在住の女性が友人から「佐賀銀行が26日に潰れるらしい」と電話で聞いた。この女性はこの噂話を友人にメールする。

<当時、送信されたメール>

緊急ニュースです!
某友人からの情報によると26日に佐賀銀行がつぶれる そうです!!
預けている人は明日中に全額おろすことをお薦めします(;・_・+
一千万円以下の預金は一応保護されますが、今度いつ佐銀が復帰するかは不明なので、不安です(・_・|
信じるか信じないかは自由ですが、中山は不安なので、明日全額おろすつもりです!
松尾建設は、もう佐銀から撤退したそうですよ! 
以上、緊急ニュースでした!! 
素敵なクリスマスを☆彡


この内容のメールを26人に28通、3回に別けて送信した。
これが「佐賀銀行デマメール事件」の発端である。


当時の朝日系ニュース映像

友人、知人にお知らせした心算が、受信した人達が再送信(チェーンメール化)したり電話したりすることで急速に広まり、不安を煽られた民衆が佐賀銀行の店頭窓口とATMに押し寄せ、預金が引き出されたり解約された。25日午前中から問い合わせの電話が急増。午後になると更に加速し、支店では支払い金が不足するようになる。午後18:00頃には本店のATMに200人以上の列ができ混乱を極めた。この時間以降、携帯電話が繋がらなくなりNTTは緊急措置として通話の制限を実行。
25日だけでも平時より120億円多い180億円が引き出され、取り扱い件数は3万2000件増の9万2000件に達した。結果的に450億円から500億円が流出する大事件に発展した。
25日午前から預金引き出しの急増に気が付いた佐賀銀行は、14:00過ぎにメールの現物を入手しそのようなデマが出回っていることを認識。
同日17:45 佐賀銀行は佐賀県警に対して著しく信用を失墜させたとして、被疑者不祥のまま信用毀損罪で刑事告訴。同日、受理された。
年が明けて2004年2月17日、このメールを発信した中山という女性が逮捕される。佐賀署の取り調べに対し「(聞いた話を)本当に信じ、友達に教えようと思った」と涙を流しながら語ったという。
同年9月9日、佐賀地検は「(信用を傷つけようとの)犯意を認めるに足る証拠がない」としてこの女性を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。
まさかこんなことになるとは思わなかっただろう。当時23歳だった中山さんは安易に信じて伝えたメールが皮肉にも「素敵なクリスマス」どころか「最悪のクリスマス」にしてしまった。何故、この情報を信じてしまったのだろう。

この佐賀銀行の事件も先の豊川信用金庫事件と同様に大事件に発展するような素地があった。
この2003年の流れを見ると3月11日に松尾建設が大幅なリストラを敢行している。メインバンクは佐賀銀行だ。その後も松尾建設倒産の噂が巷にはあった。
8月になると佐賀商工共済が資金運用失敗(具体的には穴埋めにアルゼンチン債に手を出して沈没約58億円の負債)で破綻。
11月29日には栃木県の地方銀行足利銀行が破綻。自己資本率は4.45%だったが233億円の債務超過で全株国有化することになる。佐賀銀行は自己資本率が8.6%の優良銀行だったが12月の初頭に次の公的資金注入先が九州北部の地銀ではないか、という噂があった。このときに具体的な銀行名が出なかったため、漫然とこのエリア全体が危ないかのような印象を持たれた。
12月10日には県内で最大規模の負債で豊栄建設が倒産。民事再生法の適用を申請する。135億円のうちメインバンクの佐賀銀は79億が回収不能になる見込みと報道された。
この2003年は拓銀倒産からしばらく「銀行も潰れる」を忘れようとしていたのを人々が思い出した時期で、こういう情報に鋭利に反応する条件が揃っていた。その前にはりそなHDの実質国有化やみずほHDの不良債権の問題があり金融機関への信用が失墜していた時期でもある。

社会が不安を感じている時、噂は更に脚色され悪い噂ほど広まる。人間の特性として悪い噂ほど信じてしまうのも事実である。
中山さんは友人から聞いた噂を当時の雰囲気から「裏付けを取らず」に信じた。メールの内容から「ペイオフ」も十分承知していることがわかる。それでも全額引き出すと矛盾した発想へ向かっていることに自分では気が付いていなかったのだろう。
このときペイオフには上限が1000万円とされていたが、それであれば多くの人は預金が補償されていたはずで、焦って引きおろしたり解約する必要はなかった。しかし、それを知っていた人でもATMへの長蛇の列を見て冷静にはいられなくなった、という。人間の心の脆さなのだろう。
情報発信者は客観的立場から「裏付け」を取ったものしか発信してはならない。この言葉は音楽評論家伊藤正則氏の言葉だが僕はジャーナリズムの原点だと思っている。

注目したいのは30年の時間の違いは「情報到達」のスピードを大きく変えたことだ。計算上、最初のチェーンメール1通が日本中に行き渡るのに11時間だそうだ。
2003年頃は飛躍的にインターネット人口が増えた時期である。ブロードバンドの登場で快適高速化し、携帯キャリアからのエントリーも莫大なスピードで増えていった。この年はインターネット普及率が国民の60%を超えた年である。それだけにネットに乗ると様々な手法で拡散されたことが特徴。
メールからメーリングリストで不特定多数に読まれ転送されたし、この時代はまだ多かったBBSにも書き込まれた。豊川信金事件の時代はそのエリア以外の人々にはほとんど伝わらなかった情報が、現代は一瞬で世界から見られる時代になったのだ。
ネットは世界に繋がっている。だからアドレスにWWW(World Wide Web)とあるのだ。

そろそろ今回はここら辺でキーボードを止めたいと思うのだが、改めてネット普及率の推移を見てみると僕が始めた97年頃というのは10%未満だったのな。世間で言う「マニアの部類」に完全に入ってる。こんだけしかユーザーいないのに凄く「ワクワク感」があって夢中になってた。
この頃、ネットを始めた人ってダイアルアップで凄く不自由しながらネットとコンピュータに食らい付いてたんだよね。反面、ネットの仕組みを知ってうまく使う知恵を絞ったり、ネチケットやウイルスの情報がマニュアルに掲載されていたりと勉強するチャンスがいっぱいあった。
今のPCってマニュアルも凄く簡素化されていて、あれじゃマトモな知識が身に付かないと思う。そもそもネットはセットなんだからビギナー用のテキストは絶対必要だと思うのだ。

じゃ最後にチェーンメールをWikipediaでは実例を幾つか掲載しているがその注釈にこう書かれている。
それを紹介して終わりたいと思う。

『この記事は犯罪の手口を示しています。実行した場合は罰せられます』

参考文献

伊藤正則 断言(1993年)
伊藤陽一・小川浩一・榊博文 「デマの研究:愛知県豊川信用金庫"取り付け"騒ぎの現地調査」『総合ジャーナリズム研究』69号(1974年)

参考資料

『共済に消えた責任 ~佐賀 地方経済からの報告~』
佐銀取り付け騒ぎ
2ちゃんねる ○賀○行いよいよ倒産なの??

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